大正~戦前

さかのぼること、101年。大澤活版印刷所の幕開け。

大正2年2月。大阪市東区豊後町(現中央区)で、現社長、大澤真司の曽祖父、大澤政次郎が、時代を読み、活版印刷をはじめました。日露戦争に大日本帝国が勝利した後、世界で資本主義が急激に発展し、日本の一般市民の間でも、自由と権利の獲得や抑圧からの解放に対しての気運が高まっていた頃。大阪・新世界には、着物や洋装をまとったハイカラな人々が集まり、時は大正ロマンの真っ只中といった雰囲気でした。

印刷所の外には、活版印刷の機械音やインクのにおい。工場では、文字や図版などを組み付ける専門工が世界でも評される日本の高い植字や刷りの技能を磨き上げていました。当時の日本では、活版印刷は最先端技術の一つ。時代を読み、毎日汗を流して働く政次郎たち大澤活版印刷所の人々は、今後の日本の近代化の一翼を担っていました。

戦後復興期

戦争で印刷所が消失するも、取引先の好意で工場再建

その後、跡を継いだ2代目令司。剛腕で意思の強い人でした。大手財閥で金融の仕事に携わるエリートだった令司は、事業を継承する際、「おやじ殿、半年間好きにさせてくれ。うまくいかんかったら、おやじ殿の言う通りに何でもする。しかし、うまくいったら全部すきにさせてくれ。」と覚悟を決めて言ったと伝え聞きます。

そんな2代目も、戦火により大切な印刷所を失います。その危機を救ったのは、当時のお得意先でもあった住友総本店様(現在の住友化学株式会社様)でした。取引先様のご厚意に感謝し、お客様との信頼関係を何よりも大切にする当社の風土を確固たるものにした出来事の一つです。

高度成長期

大量印刷時代で益々の発展~活版印刷からオフセット印刷時代へ~

お取引先様との強い信頼関係を基盤に、戦後の活版印刷時代を駆け上っていった大澤活版印刷。どんどん仕事が舞い込み、事業も順調に成長していきました。先代の誠司(三代目)の頃には、活字を組み合わせて版を作り一枚ずつ刷り上げる活版印刷から、大量かつスピーディに印刷することができるオフセット印刷に時代が移り始めていました。印刷隆盛期に、しっかりとお客様のニーズを捉え期待に応えることで、益々の発展を遂げていきました。

現在から未来

時代の一歩先を歩むからこそ、お客様先に足を運ぶ営業スタイルを徹底

そして現社長、大澤真司が向かうべきところ、それは「原点回帰」。商売の基本に立ち返り、お客様第一主義に徹することこそが今後の印刷業界に必要な力だと考えます。「安く、早く、自分で印刷する」というインターネット印刷の流行がありますが、そんな時だからこそ、歴史ある印刷会社にしかない知識・経験を全てお客様のために提供することが求められているという思いがあるからです。

 印刷は手段。
 印刷により、お客様の喜びや満足を引き出すことが商売。
 そして、その結果が信頼となる。

このような強い信念のもと、歴史と技術の継承を大切にしながら、これからも大澤印刷は、誠実かつ実直にお客様のために大阪の街を駆け回ります。